たまーに神社に行くようになってから、「あー、手洗うところって何て言うんだっけなー」って思っていた時期を通り越してだいぶ自分の中で定着した「ちょうずや」。
別に御手洗でも、てみずやでも良いんだけど、手水舎を「ちょうずや」って読める自分どや、な驕ってる感じを出しつつ参拝時に新たな壁にぶち当たる。
水がない。
地方だったり比較的小さな神社に参拝に行った時に、手水舎に水がなかったり、汚れていたり、そもそも手水舎が無かったりする。
出くわした時に、「んー、しょうがないか」ってスルーしてたけど、今さらながら調べてみた。
結論から言えば、清められれば良い
結論から言えば、
清められれば何でも良い
ようだ。じゃあ清めるにはどうするんだと。その方法をいくつかご紹介します。
祓戸大神(はらえどのおおかみ)さまを呼ぶ
祓戸大神という祓いの神さまがいるようで、呼び出してお願いすることで祓ってもらえると。祓戸大神は、黄泉から帰還した伊邪那岐が禊をした時に化成した神々の総称、とのこと。
祓戸大神さまに「祓へ給ひ、清め給へ」的な祓詞を唱えて清めてもらう。
草手水、芝手水、花手水、雪手水
水を使わない手水のやり方がある。草手水とか花手水とか雪手水とか言われる類のやつ。各名前の手水の前にくっついている「草」とか「花」とか「雪」で、手をサッサッサってやることで清めることができると。
昔は、それすらない時は、手で空気を揉むようにして清めていたとか。それが元になって、相撲の作法の「塵手水」となった。
と、wikipediaに書いてあった。
参拝前に洗面所で手と口を清める
何やかんやでこれが一番現実的か。手水舎の水でないといけない、とかそういうのは特にない模様。洗面所もなければ、自分で水を持参しても良いとのこと。むしろ、おしぼりで拭いても良いし、水でなくてもお茶とかでも良いという話もあった。
ということで
3種類ほど紹介したけど、神さまに近づくためには、心身共に清潔であることが必要ではあるものの、特別な、神聖な、専用の、水でなければいけない、ということではない。
1番大切なことは、作法に気を取られすぎて、神さまへの感謝の気持ち、信仰心を忘れてはいけない、ということ。
うん。意外とそれらしい終わり方になった。
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